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「一生懸命やったんですが」と「正論だけど」

社内や取引先のミスの報告でよく聞く言葉のひとつ。
「一生懸命やったんですが…」
いや、知らんがな…
一生懸命なんて当たり前の話で、どうでも良いのだ。
例えば料理がちょっと美味しくない…。
「一生懸命に作ったんだけど…」
「あ、全然大丈夫だよ、もぐもぐもぐ….」
それはパートナーや家族や友だちだからである。
惣菜屋がまずかったら「きっと一生懸命だったから仕方ないよね」なんてならないし、
美味しくても一生懸命じゃないかもしれない。
極論、美味しければよいのだ。

もちろんその背景にあるストーリーによって売上は左右するだろうけど、
お客さんにとって基本的には作り手が一生懸命かどうかは重要でない。
いやそもそも「一生懸命やったんですが…」は言ってはいけない言葉のひとつだと思っている。
一生懸命やらない、なんてそんな選択肢はないのだから。

もうひとつ、そうじゃないだろ、と思ったのは
「正論だけど◯◯◯」。
確かに現状から考えるとその「正論」はかけ離れていて実行不可能だと考えるんでしょう。
「いや、無理無理、絶対無理、だって◯◯◯」そう思うんだろうね。
でも、その「実行不可能」という目標に1歩でも2歩でも近づいて、
知恵を出し合ってもう1歩近づいて、
勉強したり、腕を磨いて1歩近づいて、
技術の発展が合ってもう2、3歩近づいて。
すぐには実現できなかったけど、いつの間にか「正論」が出来てた。
それが成長なんだと思う。
なので「正論だけど」で片付けてしまうのは簡単だけど、
成長の機会を逃して非常にもったいない、そう思う。

確かに「正論」を投げかける方がそのステップを提示すること、
それもひとつあるかもしれない。
だけれども、どういう上がり方をするのかは人それぞれ。
上がり方を考えるのが楽しかったり、出来たときの喜びもあると思う。
その上がり方を考え、出来たことは一生の糧になる。
でもすべてを提示されて上がったところで大した糧にはならないんだよね。
所詮、他人の知恵だから。
効率的な方法は上がり方は逆でその階段の場所も、すべて示しそのとおり実行してもらうことだと思う。
ファーストフードなどのチェーン店はそういうやり方でクオリティの維持を図っている。
でも、本当の仕事の楽しみって、どこか?って言ったら、
そこ、なんじゃないかなと思うんですよね、ワタクシは….。