ごきげんよう。
だいぶ寒くなってきましたね。なぜかくしゃみが止まりません…
さて昨日は、キタサンブラックに震えた日曜日でしたが、来週の日曜日、11月1日は天皇賞(秋)。そして奇しくも、98年の天皇賞の最終コーナーで予後不良となり、安楽死という最期を迎えたサイレンススズカの命日から17年目。
アラフォーまで競馬に見向きもしなかったのに、競馬の魅力を教えてくれた馬の1頭でもあります。そこで命日を前に、サイレンススズカの魅力や一生を振り返ってみたいと思います。ヒトリでも多くの競馬を知らなかった人が、競馬=博打的印象を腐食し、競馬の魅力を知ってもらえば幸いです。
出典:中山記念メモリアル(サイレンススズカ) – デジカメ競馬日記(重賞プレイバック)
生年月日 | 1994年5月1日 |
死没 | 1998年11月1日 |
調教師 | 橋田満 |
馬主 | 永井啓弐 |
調教師 | 加茂力 |
生産者 | 稲原牧場 |
産地 | 平取町 |
本賞金 | 4億4930万円 |
付加賞金 | 668万円 |
平地収得賞金 | 1億1310万円 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | ワキア |
Contents
サイレンススズカの故郷
サイレンススズカは父サンデーサイレンス、母ワキアの間に生まれた栗毛の牡馬(男の子)で、北海道の稲原牧場で生まれました。子供の頃の写真は、あの特徴的な白い鼻筋がとても可愛らしくて、ネット上で探したのですが、見つからず。「サイレンススズカ・光の仔」はちょっとしたエッセイと写真集になっているので、オススメです。このページの一番下にサイレンススズカの写真をクリップしたPinterestのボードを貼っておきます。
ちなみにサイレンススズカのお墓は、故郷の稲原牧場にあって、お墓参りができるそうです。北海道に行く機会があれば、ぜひ一度足を運んで、お参りしたい場所です。サンデーサイレンスの子は無数にいるので、兄弟といってもたくさんいるのですが、母ワキア(と父コマンダーインチーフ)の子であり、サイレンススズカの弟は何頭かいて、そのうちの1頭、ラスカルスズカは、いまでも北海道苫小牧市のノーザンホースパークにて繁養されているそうです。
出典:: 1日目その②稲原牧場〜ビッグレッドファーム | 大欅の向こう ::
稲原牧場
所在地 | 沙流郡平取町本町132-2 |
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見学期間 | お墓参り年間可能 |
見学時間 | 9:00~11:30、13:30~16:00 |
事前連絡 | “直接訪問可能 |
※詳細は最寄りのふるさと案内所まで。” | |
見学資格 | 馬の見学不可 |
注意事項 | お車は牧場敷地内には入れません。歩いてお入りください。 |
サイレンススズカの魅力
サイレンススズカの魅力と言えば、「逃げ」。「逃げ」って言っても、半端じゃない逃げ。通常の自転車レースなどでもよく観られる「逃げ」は、スタート直後から出来る限りのスピードで逃げることで後続とのアドバンテージを作り、レース中盤から終盤にかけて、追いかけてくる後続と、そのアドバンテージ(貯金)を削りながらゴールに向かい勝利を狙う走り方であるけども、サイレンススズカは単純に最初っから最後まで早い。早いから結果的に逃げていることになっている。そんな逃げ。観ていて追いつかれるか、ハラハラドキドキするというわけではなく、最後まで気持ちが良い逃げっぷり。毎日王冠での実況アナウンサーが「どこまで行っても逃げてやる!」と叫んだコメント、とっても印象的。でも、もしかしたら彼としては、逃げているのではなく、全力で走ってたら後ろに誰もいなかっただけなのかもしれませんね。
金鯱賞
宝塚記念
毎日王冠
2011年宝塚記念のCMのキャッチコピー、
98年 宝塚記念
最速の機能美、サイレンススズカ。
速さは、自由か孤独か。
サイレンススズカを表現するキャッチコピーとして、ぴったりだと思う
ただ、彼の魅力は、圧倒的な「逃げ」だけではなかったと思う。
彼の魅力をより輝かせる「不完全さ」
彼の「逃げ」という魅力を引き立たせる「不完全さ」にあったと思う。例えば、あのディープインパクトは、デビューからたった1度の2着(凱旋門賞では失格だったけど)を除けば、すべて1着で、競走馬としてのキャリアを終え、種牡馬として今も北海道で暮らしている。一方のサイレンススズカは4歳という短い馬生だった上に、デビュー2戦目の97年報知杯弥生賞では、ゲート内で上村洋行騎手を振り落とし、ゲートを下からくぐってしまい、ペナルティとして大外枠発走、そしてスタートも大きく出遅れてしまう。でも走ればやっぱりすごくて、ちょっと期待してしまうも、やっぱりチカラつきて8着で終えている。そりゃ、あんだけ暴れて、大外枠から出遅れて、さらにあの位置まで上がれば疲れるでしょ…。で、結局、出走停止処分までくらってしまっている。そんなやんちゃな一面を持ちながらも、やっぱり走れば早い。いまで言うと、ゴールドシップや少し前ではオルフェーヴルも同じような不完全さを持っている魅力のある馬たちだと思う。圧倒的で完璧な馬っていうのも、もちろん魅力的だけど、速さと不完全さを併せ持つと多くの人を魅了するキャラクターとして確立するんだなあと思った。
「あ〜振り落としましたねえ…」っというコメント(笑)上村騎手は痛そう…
運命の1998年11月1日、東京競馬場。
98年11月1日(日)、運命の天皇賞(秋)。武豊騎乗のサイレンススズカは、いつもと変わらず、スタートから逃げる。いままで以上に見えた圧倒的な逃げ。中継カメラも引いても引いても画面に先頭のサイレンススズカと集団がいっしょに画面に映らない。多くのレースは、1,000mを1分程度で走るが、なんと57秒台。レース中盤これは勝った!と思わせる差をつけるけど、最終コーナーで突然失速。足を引きずりながら、コースを外れていく。集団が横を駆け抜けていくけど、誰がそのゴールシーンを目にしたのだろう。これだけゴールシーンに注目されなかったレースも珍しかったのではないでしょうか。
故障発生時、サイレンススズカは何度となくバランスを崩しながらも最後まで立ち続け、武を背中に背負い続けた。
「な かなかいない。あのトップスピードで、あれだけの骨折をして転倒しない馬は。僕を守ってくれたのかなと思いましたね。今でもすごくよく、サイレンススズカ のことを思い出すんですよ。せめてあと数百メートル、走らせてやりたかったな。うん、すごい残念。今でも悔しいですもん」
あの日の晩、武は何人かの知り合いとワインを痛飲した。
「泥酔したの、あんときが生まれて初めてだったんじゃないかな。夢であって欲しいな、って」
サイレンススズカが背負い続けてくれたからこそ、いまの武騎手がある。重賞300勝というすばらしい成績を残すことが出来たのも、彼がいたからなのかもしれませんね。
武豊騎手が重賞300勝 JRA史上初、通算3758勝目 :日本経済新聞
あの夢の続きを夢見る11月1日(日)天皇賞(秋)がやってくる
さて、サイレンススズカが亡くなりちょうど17年目の来週の11月1日(日)に、天皇賞(秋)が開催されます。そして武豊騎手が騎乗するのは、エイシンヒカリ。まだまだチカラは、サイレンススズカには及ばないものの、逃げを得意とする馬です。先日の毎日王冠では17年前のあの毎日王冠でのサイレンススズカの走りを彷彿とさせました。
もちろん、サイレンススズカとは違うこともわかっているし、そんな上手いこといかないとアタマではわかっているのですが、やっぱり心の片隅では、17年前の最終コーナーの続きを期待しちゃうんですよね。
相手が一気に強化された毎日王冠であの競馬をしたエイシンヒカリ。次走は秋の天皇賞かな?奇遇にも今年の天皇賞(秋)はサイレンススズカの命日。止まっていた時計が再び時を刻み始める気がします。 pic.twitter.com/bidMLnxats
— おがわじゅり (@ogawa_juri) 2015, 10月 13
↓スズカのイラスト書き直しました
サイレンススズカの写真をPinterestでまとめました。